コトー Blog & Vlog

東洋医学のこと、鍼灸治療のこと、パーソナルトレーニングのこと、日々の暮らしのこと…。カテゴリー別に書き連ねています…。ちょこっと、動画も始めました…。

中国留学思い出し日記 ~50年ぶりの大寒波

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ひどい時には最高気温0度、最低気温-3度。
周囲を歩くと30分はかかる大きな池も凍ってしまった。
例年は数回雪が降ってもすぐとけるらしい。
なんでこんな時に中国に留学しているんだろうか…。

 

 

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修業先の鍼灸科は暖房設備が整っていなかったので、
先生方や私も室内でダウン・コートなど着込んでた。
冬場はかなり患者さんが少なかった。
電気敷き毛布や扇風機型のヒーターを
持参する患者さんもいた。

 

 

寮の自室では、エアコンの吹き出し口の
真下にいないと寒くてたまらない。
自室の一角には洋式トイレと
シャワーのある小部屋があったが、
シャワーだけでは温まらない。
プラスチック製の大きめのバケツを購入し、
シャワーの際、その中に足を入れていた。

 

「日本に帰ったら何がしたい?」と聞かれると、
「浴槽につかりたい!!!」 ただそれだけ…。
もう3年弱経っているのに、
わざわざ温泉に行かなくても
自宅の浴室で未だに充分満足!

 

今日は冬至。
浴槽にゆずを入れてじっくり温まろうと思います。

 

今は福岡で女性専門の鍼灸院をしています。
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中国留学思い出し日記 ~クリスマス・イヴ

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2006年12月24日、鍼灸修業で、中国にいた私は
現地で知り合った日本人3人と夕食へ。

 

洋食もあるレストランに行くと、
その日、単品はなく、クリスマス・コースのみ。
かなりの割高!
中国人の恋人たちや家族連れのほとんどは
メニューを見るなり即、退場。
会社員の2人がおごってくれると言うので、私たちはそこに決定!

 

まず、前菜?にお菓子(クッキーなど)が運ばれ、
ワイン、ミルク・ティー、そして梨とりんごの入ったサラダと続き、
メインのステーキとライスを食べきらないうちに、
メイン?の鳥もも肉のグリル焼き(ソースはステーキと一緒)、
ヨーグルト…。
次々に運んでくるので、もう置く場所がない。
最後に飲みたかったホット・ミルク・ティーは冷え切っている。

 

そういえば、円卓を囲んで食べる中華料理は、
円卓にのりきらずに、皿と皿の上に載せちゃうぐらい
ハイ・スピードの配膳だった。

 

円卓の上のたくさんの料理!
それが最高のもてなし方なのかも。
クリスマス・コースの全メニューを運び終えた店員は
満足気な顔をしていた。

 

写真は外資系デパートの前の広場で撮ったもの。
中国ってクリスマスとまったく無縁と
思い込んでいたので、驚きのクリスマス・イヴでした。

 

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中国留学思い出し日記~つぶあん派? こしあん派?

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福岡はいまのところ日中おだやかな天気が続いています。
その分、朝が冷え込んで、起きるのに一苦労。
着実に冬に向かっています。

 

肌寒くなってくると恋しくなる食べ物はなんでしょう。
私は肉まんとあんまん。
以前、実家の近くに中村屋があり、
こしあん派の私は幼少の頃から母におねだりしていました。

 

最近、スーパーで冷凍の中村屋のものを見つけた時は
うれしくて声が出そうだった!

 

3年前、鍼灸の修業で中国に留学してた時も、おいしい店を発見。
あんはごまあんでした。

 

人気のある店で、すぐ人だかりとなり、
現地の人の勢いに押され、
もたもたして注文できずにいる私に
店員の女の子が「何にする?」と聞いてくれるくらい常連になっていました。

 

あつあつのうちがおいしいので、
寮にたどり着く頃にはあんまんも肉まんも完食!
体も心もほかほかになり、
中国語がなかなか上達せず落ち込んでいた気持ちも吹っ飛んでいましたね。

 

心も元気になりたい時は、食べてエネルギーを作る!
留学中に身をもって感じました。
あんまん、肉まん、とうもろこし味の蒸しパン、甘栗、焼き芋…
懐かしいなぁ~

 

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中国留学思い出し日記~インフルエンザと戦った日々

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明け方にぐっと冷え込んできましたね。
慌てて少し厚い掛け布団にしたら、熱さで目が覚め、
この時期の布団や衣類の調整は難しいです。

 

毎年恒例のインフルエンザの予防接種をしてきました。
接種していただいたのは3価ワクチンといい、
季節性インフルエンザ(A型とB型)と新型インフルエンザに効くので
1回の接種だけでいいとのこと。
ありがたいです。

 

そういえば、中国留学中にインフルエンザにかかったことがあります。

 

2月上旬、北京旅行直後、ひどい寒気に体温を測ると39.5℃!
あ~、インフルエンザだっ!
でも中国の病院には行きたくない。
日本から解熱剤を持ってきていた。
インフルエンザだとしたら、
1日3錠×7日分=21錠あればいいが…
うっ! 11錠しかない。
もうろうとする頭で考える。
1・2日目は3錠ずつ…
3・4日目は2錠ずつ…
5日目は1錠…
でいいか…
冬休みで親しい人たちは帰省あるいは旅行中で
それしかない。

 

ホカホカの羽毛布団にくるまっても、寒くてしょうがない。
服を重ね着し、ひたすら寝た。
しばらくしてどっと汗が出始め
目が覚めるたびに着替えをし、
スポーツドリンクを飲んだ。
洗濯ができず、汗が乾いた服を裏返しにして着ていた。

 

気づくと左耳が聞こえない。
インフルエンザが原因?
このままずっと聞こえなかったらどうしよう…
日本からもぐさを持ってきていたが
自分で治療できる状態ではなく、
ひたすら寝た…
4・5日すると体が動けるようになり
いつのまにか難聴も治っていた。

 

以前、日本で40℃近く熱を出し
すでに身動きがとれず
解熱剤と氷枕と根性で解熱させ、
動けるようになって受診したところ
「インフルエンザだったねぇ」
と診断された経験があったからこそ、
異国の地でもなんとかなった気がします。

 

今年のインフルエンザの流行はどうなるでしょうか。
皆様、気をつけましょう。

 

中国留学思い出し日記~満月の思い出  サバイバル編

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語学と鍼灸の勉強のために、
中国・安徽省(あんきしょう)・無湖市(ぶこし)に

留学していたことがあります。
上海から各駅停車で10時間,

南京から高速バスで1時間の所です。

 

 

留学半年後の冬休みに、1人で一時帰国しました。
当時の語学力は少し中国語を話せるが、
ほとんど聞き取れない状態(方言の壁は厚かった!)
留学するときは日本から上海回りで、

日本語の話せる中国人が同行していたので、
何の不安もありませんでした。

 

 

2006年12月下旬、

上海の旅行会社に日本語が上手な社員がいると聞き、

そこで南京空港⇔関西国際空港の航空券と

南京のホテルの予約をお願いした。
2007年2月2日、大学前に止まっていたタクシーのドライバーに尋ねた。

南京までいくら?

彼は「250元」と答えた。

長距離の場合、事前に運賃を聞かないとぼったくられてしまう。

その頃、1元=約15円だから約3750円。

まあまあ相場と思い、そのタクシーに乗り込んだ。

今日泊まるホテルの住所や電話番号が書いてある紙を渡すと、

ドライバーはすぐ携帯電話を取り出し、

ホテルに行き方を尋ねているようだった。

 

 

南京まであと半分という所でドライバーはタクシーを止め、

近くに停車していたタクシーのほうへ歩いていった。

しばらくして戻ってくると

「自分は道がよくわからないから、ここからタクシーを乗り換えてくれ。

自分に120元,彼に130元支払えばいいから」と言った(と思う)。

 

 

ほどなく南京市内に入った所でタクシーが止まり、

ドライバーが別のタクシーのもとへ…。うっ、嫌な予感!!!

しばらくして戻ってくると

「自分はホテルの場所がわからないから、

あのタクシーに乗り換えてくれ」と言った(と思う)。

 

 

3人目のドライバーは何度も何度も携帯電話でホテルへ道順を確認していた。

タクシーはどんどん市内を離れ、いつしか田園風景に…。

1時間半かけてやっと着いたのは、さびれた温泉地。

ドライバーもほっとした表情をうかべていた。

 

 

翌朝8時発の飛行機に乗るので、

早速フロントで、空港までどれくらいかかるか聞いた。

車で1時間。

えーっ!旅行会社には空港に一番近いホテルをお願いしたのに!!!

しかたないので、翌朝のタクシーを予約した。

その夜生まれて初めて、食あたりでもないのにお腹が下った。

 

 

翌朝5時半に、タクシーではなく自家用車に乗り込んだ。

エアコンをつけていないので、底冷えした。

いくら走ってもほとんど民家がない暗黒の世界。

私の語学力では話が続くわけでもなく、

ドライバーは沈黙に耐え切れずにラジオをいれた。

何曲目かでゴスペラーズ(日本のコーラスグループ)の『星屑の街』が流れてきた。

もうすぐ落ちてきそうな大きな大きな満月を眺めながら、

どうぞこの曲が終わりませんように…、

終わりませんように…、

終わりませんように…、ひたすら願っていた。